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YUKI(大西裕貴子おおにしゆきこ)Y.O DANCE STUDIO主宰東京都江戸川区出身 A型 小中学生の時代にマイケルジャクソンの影響を受け「この世にこんなカッコいいものがあるのか・・・」とエンターテイメントの世界に強く惹かれる。その後アメリカのダンス映画が『フラッシュダンス』『コーラスライン』と次々に日本へ上陸。「やっぱりカッコいい・・・」と地元の小さなダンススタジオに通い始めるが、レッスン中膝にケガをしてしばらく通院生活を送る。ダンスをあきらめ、高校卒業後大好きな『TOKYO DISNEYLAND』でアルバイトをしながら幸せな毎日を過ごす。小さなつまずきが重なって精神的に追い込まれたときに、自信が持てない弱い自分が嫌になり「やはりプロのダンサーになる」と決意。 |
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1988年 1989年 |
NewYorkへ六本木にあった『スタジオ1番街』に入所。プロダンサーがまわりを取り巻く環境でただひたすらゼロからの挑戦を始める。 |
![]() N.Y『RADIO CITY HALL』前にて |
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1990年 1991年 |
オーバーグラウンドの仕事田原俊彦ディナーショーに振付スタッフとして参加。仕事の進め方、スタッフの多さ、本番のゴージャスさなど、自分の出演する舞台などとは違った部分が多く、刺激を受ける。 |
![]() Dinner Show後田原俊彦さんと |
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1992年 |
L.Aへ そしてU-LALA始動あこがれのL.AでHIPHOPのレッスンを受ける。N.Yとは違う生活能力、自立心が必要なため、レッスンへ通うにも、遊びに行くにも買い物をするにも、わからないことが多く、またまたたくさんの人にお世話になり助けられた。ダンスの面では、向こうで生き抜こうとしている人たちと、自分との違いを思い知らされることとなり、なにかはっきりとした目標がないままレッスンをしていても、ただの自己満足でしかない・・・と初めて真剣に考える。どんなダンサーになりたいのか、どうしたら仕事につながっていくのかわからないまま帰国。Davidのレッスンを受け続け、彼の作品で踊り、アシスタントの仕事をもらい、オーディションを受けては単発で仕事をする。そんな日々。 |
![]() 初代ダンサーズ(前列左3番目) |
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| 1993年 | 赤井祐子とユニットを組み『U‐LALA』として活動をする。このYUKOとの 不思議な因縁(?)はその後も続くことになるが彼女はステージ上での唯一無二のパートナーである。青山円形劇場『THE SCHENE'S』銀座博品館劇場『FOR FREEDOM』に役名も『U‐LALA』で出演。個性だけは誰にも負けないというコンセプトのもと衝突しながらも精力的に活動。ピンクレディーのミーのステージに振付として参加。出演する予定は無かったがミー本人の依頼で、2人で『UFO』を踊る。(感激) |
![]() U-LALA93' |
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| 1994年 | 多彩なゲストを迎え、六本木R-HALLで『U‐LALAライヴ』を行う。振付、 構成、演出も2人で担当したが、たくさんの人たちの力がなければなにもできないことを痛感・・・。ライヴ後『U‐LALA』を解散し、1人でダンス指導や振付の仕事をしながらやはりここでも"自分が本当にやりたいこと"について悩む。同年、CLUB『ジュリアナ東京』のショータイムの振付を担当。振付のおもしろさ、むずかしさが少しずつわかり始め、苦しくも充実した日々を送る。 |
![]() YUKIとDAVIDとミーさん
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1995年 1999年 2001年 |
マイスウィートホーム結婚。そして長男を出産。千葉県の我孫子市で新しい生活を始める。それまでの毎日とはまったく違う環境の中で、育児に追われながらもだんなさまと楽しく幸せな日々を送る。ときどき仕事が入り離乳食やミルク持参で都内へ通い、オスカープロモーションのタレント『CCガールズ』や『シェイプアップガールズ』の振付を続ける。仕事の現場に行き、家事もやりながら、MTVで最新のPVを観ては日に日にダンスへの想いが強くなり、「やっぱり踊っていたい!」と奮起。 |
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2003年 |
DANCE IS LIFEY.O DANCE STUDIO オープン。ストリートダンスとヴォイストレーニングの、クオリティーの高いレッスンを受けられるスタジオを目指し、現在のパートナーである矢島久美子と共に個性豊かなインストラクターたちと活動を開始。Jリーグの公式戦(柏レイソルVS名古屋グランパスエイト)のハーフタイムでのダンスパフォーマンスを始めとして、その他イベントに積極的に参加した。クリスマスにはYUKIとERINAの歌のライヴをプロデュースし出演。 我孫子市民ミュージカル『北へ帰るのを忘れた白鳥』の振付を担当。出演者、スタッフが我孫子市民であり、オリジナルのストーリーとオリジナルの曲で作られた、まさに市民で作ったミュージカル。すばらしいプロジェクトに参加することができたこと、たくさんの人たちに出会えたことに感激し、「舞台はいい!」とあらためて全身で感じる。 |
![]() 市長、各界の著名人を招いて |
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| 2004年 2005年 |
Y.O DANCE STUDIO のインストラクター、練習生たちと共に、活動の場を広げ数々のイベントに出演。練習生の中から『ハロプロエッグオーディション』の合格者(当時小6)が誕生。そして、今も明日のスタアを養成している。『U‐LALA』を11年ぶりに再結成。都内、横浜などのクラブイベントにゲストとして出演。アンダーグラウンドの仕事の楽しさにまたまた夢中になり、パートナーのYUKOと共に『U‐LALA』でしかできない☆と自負するナンバーを創りながら精力的に活動。 |
![]() U-LALA05' |
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| 2006年 | Y.O DANCE STUDIO 第1回発表会『one's life』を企画・プロデュース。"生きる"ということをテーマに、「幸せの価値は人それぞれ違うのだから、認め合い、許しあうことができなければ このまま世界から争いが消えることはない…」という『命』へのメッセージを込めた記念すべき第1作。全員の力で一つのことをやり遂げたあの"特別な感動"を分かち合い、震えがくるほどの覚醒! |
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| 2007年 | 「圧倒するスキルと類を見ない個性で、世の中を驚かせ、感動させる"怪物"に出会いたい!」という想いでY.O DANCE STUDIO主催 ストリートダンスコンテスト『MONSTER』を企画・プロデュース。関東エリア以外からもエントリーがあり、地元『我孫子』に熱きダンサーが集結。ダンスを通して人と人が出会うことのすばらしさをあらためて感じ、授賞式後の挨拶では感極まって涙。 |
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| 2008年 | Y.O DANCE STUDIO第2回発表会『time 2 live』を企画・プロデュース。ただひた向きにステージに立ち、踊り、歌うことを愛して止まない練習生たちにスポットを当てた作品。2回公演のチケット予約が即日満席となり、当日朝のゲネプロを『公開リハーサル』に変更しての、事実上"1日3公演"を強行。無理難題を投げかけても受けとめてくれたスタッフ、常に手を抜かない出演者たちに感謝。 |
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